〜SWEET MEMORYS〜

「最大搭載メモリー8GB?!」
G5が発表された時、実は私が一番びっくらこいたのはその部分だった。
いつの間にそんな恐ろしい時代になったのだろう?
RAM増やせば快適に動くし安定する。
そんなことはわかっているけど、だからって・・・そんな・・・・(声にならず)

私のファーストMac、performa575の標準メモリーは8MB(オンボード4MB+スロット1基に4MB)。
当時、とってもメモリーは高価で堅気のMac使いにはおいそれと買えるものではなかった。
しかもMacユーザーたるもの、いかに少ないメモリーであろうと決して仮想メモリーに頼らず、メモリーの割り振りをこまめに調整してがんばるものだと教えられたのである。
従って使い終わったアプリはこまめに「終了」して、同時に複数のアプリを起動するなんてとんでもない!・・・って教えをきちんと守っていた。
だから後に「窓機95号機」をゲットしたときに、デフォルトで仮想メモリーONだわ、メモリーの割り振りもパソ任せ・・・というスタイルは、「何だかだらしないOS」とすら思えたのであった。(それが今や「ペケ」ではねえ・・・)
ただ実際私の場合、主に使っていたのがハイパーカードと、漢字トーク時代のお絵かきソフトだったこともあり、8MBで何とかなってたのである。

その頃勤めていた病院の看護部長がpowermac6200/75を買った。
看護婦達に配るためのパンフレット類の製作用。
プリンターどころかスキャナーまでが彼女の部屋に並んだ。
実は彼女、パソは全くのド素人で、何と私がそのお師匠に任命されてしまったのである。
今考えてみれば何と恐ろしいこと。
自分自身ががお師匠を求めていたときに人サマに教えるなんて・・・。
実は彼女はテキストを打ち込むだけで、イラスト描いたりするのはみんな私であった。
おかげで私のDRAWソフトのスキルは大いに向上したのだが・・・。

・・・話を元に戻そう。
で、そんな彼女は窓機ユーザーの同僚のアドバイスでさっさとメモリー増設しちゃうのだった。
「先生、16MBのメモリー買わない、¥10000円で。」
ちょっと考えた。でも確か当時の雑誌に載っていた値段よりは格安だったので二つ返事でお買いあげ。合計20MB。
当たり前だがメモリー増やしたからって何にも変わらないのだった。
「捨てるほど金が余ってるならまだしも、無理してメモリー増やすことはないんだな。」
・・・何ともビンボーな教訓である。

しかし・・・とあるところから「写真屋さん3.0」が転がり込んできた時から事情は変わっていく。
当時はフィルター関連にしか使ってなかったとはいえ、フリーズの嵐。
「20MBじゃ足りないよ。」
Macの先輩(クアドラ使い)はいともあっさり言ってくれた。
(ちなみにその先輩は私がMacに惚れ込むきっかけの「略図描こうとした」人で、クアドラのメモリー増設も人任せなお金持ちな「林檎使い」だったのだが。)
しょうがない・・・32MBを挿すしかないではないか。
でも・・・575のメモリー・スロットは1基。
32MBを挿すにはすでに挿さっている16MBを捨てなければならない現実が私を待っていた。
(当時は「売る」という感覚が無かった。「初心者」だもん。)
何だか凄くもったいない気分になったことだけが鮮明に記憶に残っている。

そう、パソコンを使い続けるってことは安からぬお金を出して買ったものを捨てて新しいものを買っていくこと。
当時はそれがメモリーだけじゃないってことに気づかなかったのだった。
(ただその時買った32MBRAMは後に買い足したPIONEER LX100に積み替えられ、結果的には十分元はとったのであるが。)



再びメモリーの問題に直面したのはさらにその後買ったpowermac4400。標準で32MB。(16MB×2枚)
メモリー・スロットは3基あったが、1つは32MBまでしか受け付けない。
まだ当時はパソコンに関しては財布の紐が固かった私は、ついに「禁断」の仮想メモリーをONにして創作活動に、さらにはサイトをお〜ぷんしてその更新に励んでいた。
ただ・・・はっきり言って・・・おっそ〜〜〜〜い!!
しかし幸い(?)なことにpowermac4400のメモリーは特殊で、他のものの流用が効かず、「やってもうた!」しようにも、いくつかの行きつけのお店にはどこも在庫が無く、取り寄せるしかなかった。
「待てない」性格の私が「取り寄せ」なんかを頼むことがあるはずもなく、その遅いマシンで我慢し続けていたのだった。

が、転機はやってきた。
私の住むマンションはケーブルTVで、そのケーブルを利用したインターネットサービスがついに始まったのだった。
速いし、しかもつなぎ放題だという。
単身赴任でヒマな私は当時すでにネット・ジャンキー。
毎月結構な通信料を払っていた私は一も二もなくそれに飛びついたのだった。

だが事はそう簡単には運ばない。
「イーサネット?何じゃらホイ、そりゃあ??」
ケーブル・インターネットを始めるには、そのモデムとパソコン本体をイーサネットとやらで綱がなければならないのだという。
私のpowermac4400はそのままではダメで、内部にイーサネット・カードと言うやつを増設しなきゃならんとのことだった。
「増設」?!メモリー交換しかしたことのない私がそのカードとやらを「増設」できるのかは全く自信がなかったが、その頃はまわりにMac使いなど一人もいなかった。
だとすれば・・・自分でやるのみ!
私は固い決意の元に大阪日本橋、でんでんタウンへ向かったのだった。

いくつかのMac専門店を徘徊した私は何とかpowermac4400に適合するカードを発見した。
¥16800円ナリ。結構するもんだなあ・・・って言うか、高っけ〜〜〜〜!(爆死)
仕方がない、これが無きゃ始まらないんだしぃ・・・それを手にとってレジに向かう私の足がガラスのショーウィンドウの前でぴたりと止まった。
「powermac4400用メモリー ¥21800円ナリ!」
おおおっ、これがあの幻のメモリーなのかっ?!初めて見たぞ!!
しかもご丁寧にいかにも私に買えと言わんばかりに2セットのみ残っていたのだ。
ほ、欲しいっ!しかし・・・高い、高すぎる!!
2セット買っちゃったら¥43600円、それにカードまで買ったらいったいいくらになるんだ?!
第一私のpowermac4400は中古で¥5万円ほどの代物。
何でこんなちっぽけなものに本体以上の金を出さねばならんのだ?!

中古Macにはお約束のジレンマだが、これが私の初体験だった。
私はいったん手に取ったイーサネット・カードを元の場所に戻し、店外に出てタバコに火を付ける。
どうする??そんなもったいない買い物していいのか?!!
が、しかし・・・今ここであの幻のメモリーを逃したら次はいつ巡り会えるか?!!
数本のタバコを灰にしながら私は苦悩し続けたのだった。

賢明な諸君ならお分かりだろう。今なら私にもわかる。
そのとき私が取るべき道は・・・「端金でもいいから4400を売っ払ってイーサネット付きのベージュの中古を買う」である。
だが当時はその発想は全くと言っていいほど無かったのだった。
意を決して私は店内に駆け戻った。
しめて¥6万円を差し出した私の手はきっと震えていたに違いない。
こうしてメモリーとイーサネット・カードは無事4400の中に収まった。

考えてみればこれが私の「改造道」への第一歩だったのだ。
確かに総メモリー144MBの4400はそれなりに快適にはなった。
ただその「それなり」の価格が「¥43600円」にふさわしいのかは考えないことにしたのだった。

他項で述べたとおり、今年さんざん「やってもうた!」私の部屋には4400より高性能なMacも余っている。
たぶんそれにかけた金額は¥2万円にも満たないだろう。
じゃあ4400と入れ替えて・・・・ちょっと待て!リタイアさせた4400はどうするのだ?!
4400を売ろうにもネット・オークションでは本体には値が付かないのが現実。
しかもかの悪法「リサイクル法」のために捨てることもままならない。
ってことは・・・・・使い続けるのが一番!
私が使ってる限りこれは「計¥11万円ナリ」のMacなんだから・・・・。

「捨てられない」古林檎使いの部屋に積み上げられているのはジャンクばかりではない。
耳をすませば、ちゃんと動くのに行き場のない彼らの溜息が聞こえてくるような・・・。


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